


嘉手納, 基地の街
日本人
私達が居た(滞在)当時、観光客は珍しくないのですが嘉手納という場所柄、内地からの滞在者は珍しかったようで私達は知らないのに向こうは知っている場合が多かったです。
お決まりの(ー_ー;)ヤマトンシャンかナイチハーです。
それと、今だに記憶に残っているのが年配の人達の日本への拘りです。戦後生まれの私達や現地の若い人達とはちょっと違う思いがあるようです。戦争や終戦後の大変な時期を過ごしてきた人達だけに、私達が普段意識してない日本人と言う事をスゴく意識して生きてるんだな〜って感じました。
私達がナイチハーだからなのか、常に自分たちは日本(ニホン)じゃなく日本(ニッポン)人だって常々言ってました。私達は彼らを沖縄人扱いしたわけでもなく普通に接していたのに普段の会話の中でもよく言っていました。ちょっと驚くほど日本(ニッポン)人と言う事に固執していたように思いました。

嘉手納, 沖縄
方言!沖縄語?
沖縄で私達が最初に戸惑ったのは言葉ですね。正確な発音は定かでは無いのですが、今覚えてるのはヤナカギー(ブサイク)、チュラカギー(美人・美男)、ヤマトンシャン、ナイチハー(内地の人)、イージマタッチュウ(沖縄から見ると尖った山が印象的な島、多分八重島かも)、二へデビル(有難う)、テビチ(豚足の煮物)、チャンプルー(炒め物)ぐらいですね。
最初は本当にここは何処?状態でした。
でも、現地の人達は私達に気を使って分かる言葉で話してくれるのですが、時折自分たち同士で話す時は全然わからない言葉(方言)で話すため、今オレたちの悪口言ってたろ(ー_ー;)と、よくからかっていたのを思い出します。
普段私達と話す時は標準語と東京弁が混ざったような、でも独特の言葉尻にサーの付くイントネーションで皆しゃべっていて、若い娘のそれは何故か可愛いかったです。

基地の街, 沖縄
食事
食事ですが、メイン通りにはレストランしか無く最初の1〜2週間はそこででした。基地の街なので米軍関係者を対象にしています。でステーキにパンと言うのが定番でライスと言うのは・・・でしばらくずーとそれでした。
現地の人達と仲良くなってからは、路地裏のこちらで言う定食屋みたいないわゆる食堂ぽい所を教えてもらいましたが、そこでまたカルチャーショックです。
よくある壁に貼られたメニューですが、全然分かりません。メニューから出てくる物がイメージ出来ないんです。例えば「オカズ」です。「オカズ」ってメニューから何が出てくるかイメージ出来ますか?
「オカズ」は野菜炒めのような物とスープ、白米がセットになった定食のようなものでした。後はゴーヤチャンプルーにテビチとか色々ですが、今なら沖縄料理もメジャーになって分かりますが、当時の私達には未知の領域のようでした。
しばらくボーっとメニューを見てたのを思い出します。(ー_ー;)
でも、ステーキは美味しかったし、タコスは最高!\(^o^)/
インド人のカレーは甘口でも唇が腫れました。