私達が居た(滞在)当時、観光客は珍しくないのですが嘉手納という場所柄、内地からの滞在者は珍しかったようで私達は知らないのに向こうは知っている場合が多かったです。
お決まりの(ー_ー;)ヤマトンシャンかナイチハーです。
それと、今だに記憶に残っているのが年配の人達の日本への拘りです。戦後生まれの私達や現地の若い人達とはちょっと違う思いがあるようです。戦争や終戦後の大変な時期を過ごしてきた人達だけに、私達が普段意識してない日本人と言う事をスゴく意識して生きてるんだな〜って感じました。
私達がナイチハーだからなのか、常に自分たちは日本(ニホン)じゃなく日本(ニッポン)人だって常々言ってました。私達は彼らを沖縄人扱いしたわけでもなく普通に接していたのに普段の会話の中でもよく言っていました。ちょっと驚くほど日本(ニッポン)人と言う事に固執していたように思いました。